

勇者達に祝福あれ
冬至と満月のこの土日、2日間は、カバラ・生命の樹のリトリートでした。 毎回、このリトリートでは、参加している全員に深い気づきが起こります。 もちろん私にも。 生命の樹は眠っている意識を解放させていきます。 低我から高我へ意識を上昇させる旅に置いて、自分自身と向き合い、そして自分が何処に向かっていきたいのか、問われます。 低我が満足する世界の中で生きたいのか、それとも高我が望む生き方をしたいのかと。 リトリートでは、高我が望む生き方を望み、その様に生きようとしている方々が集まり、さらに、神我への道へといざなわれます。 そしてこのリトリートワークにおいて、生命の樹の叡智の実の本当の味を知る事ができます。 いつも、このリトリートに参加されている方々を見ると、「勇者」という言葉が湧き上がってきます。 自分の弱さや恐れを克服し、何度も何度も未知のゲートをくぐり、そして新しい自分と出会い、意識を広げていくその道程は、決して簡単なものではないでしょう。 新たな「勇者達」がまた、新たなドアを開け、さらなる高みへと旅を始めました。 彼らに祝福あれ!!!!


ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ
全てのものには、サイクルというリズムがあります。 宇宙のサイクル、地球のサイクル、国のサイクル、自分の人生のサイクルなど。 アセンションと騒がれた、2012年12月も、地球のサイクルの中の一つのサイクルの移行となったのも記憶に新しいところかと思います。...


ヴェールの彼方
「顕現は幻想を内包する」 顕現されるものの種は、ベールの彼方からやってくるといわれています。 ベールのこちら側がいわゆる物資世界、マーヤ、幻想の世界。 純粋な種がこちらの世界で顕現するときは、その純粋さに覆いがかけられていいます。...


Beingへ
「神にとっては全てが美しくて、良くて、正しい。ただ人間が、あるものは正しく、あるものは正しくないと思うだけである。」 これは紀元前哲学者ヘラクレイトスの言葉です。 神がその様に全てを見ているように、神自身が「善であり美です。」 神は状態です。Beingです。 人間はその様になろうと試行錯誤するDoingです。 このDoing を通し、そこへ至る道を見つけ出そうとしますが、Doingの時は決してわかりません。 そのDoingを手放した時に、Beingが訪れます。 じゃあ、最初から何もしないでいたらいいのかと思うと、そうではなくDoingする事により、手放すものを得ることができ、Beingになる種が育ちます。 なんとも不条理に感じるかもしれませんが、宇宙の条理はこのようなものです。 全ての体験する事、知識を得ることはそれを手放す為に必要なんですね。 手放すためにそれがあると言ってもいいですね。 もし、手放す事が出来なかったら、ずっとそのままの状態にいるのでしょうか? いえいえ、宇宙は親切です。 宇宙のリズムに合うように、ちゃんと気づ


「道」
日本には、”道”がつくものがたくさん有りますね。 茶道、華道、香道、柔道、剣道、合気道などなど…… 道がつくからには、どこかに向かうという風景がみえて来ます。 それは、自分を知るという事、宇宙を知るという事、神を知るという事なのかもしれません。 その道を歩み始めると、初めは歩むために必要な沢山の知識を必要とし、得て行きますが、歩みを進めるうちに今度は逆に手放していくようになります。 そのGoalにたどり着くには、「私」というものさえいらなくなってい来ます。「私」があると辿りつけないのが「道」です。 だから、道を極めた人は、神々しく見えるのかもしれませんね。 知識を求めると、次第に何かが増えていく、道を求めると、次第に何かを捨てていくことにつながる。 - 老子 - 〜Lucis Sylva 徒然便り103より〜 「光の道イニシエーション」の開催です。 3/3 ~ 3/4 古代より世界各地で、新しいエネルギーレベル/ステージに入る時にイニシエーションが行われていました。純粋な奉仕したいという


真我へと
個としての自我が目覚めた時、自分と他人、内側と外側とういう分離が始まり、自分を外に、他人に映しはじめます。 物心がつき、「私」という主体を持った時より、この分離の世界の中で生きるという事が始まります。 そして、分離のその中に分離が無いものを内包していることに気付いた時より...




















