

Vol. 3. 形而上学の歴史をざっくりと理解する A rough understanding of the history of metaphysics
形而上学入門シリーズ|第3回 前回は「なぜ今、形而上学を学ぶのか」というテーマで、現代社会と形而上学の接点をお話ししました。 今回は、どんな問いが、どの時代にどう受け継がれてきたかを軸にの歴史流れを追ってみたいと思います。 古代:全てはひとつの源から始まる 形而上学的な問いの起源は、文明の始まりとほぼ重なります。 古代エジプトでは、宇宙の秩序(マアト)と人間の在り方が深く結びついていました。神官たちは天体の動きを観察し、見えない世界の法則を読み解こうとしていました。 古代ギリシャでは、紀元前6世紀ごろから哲学者たちが「世界の根本は何か」を問い始めます。タレスは「万物の根源は水」と言い、ヘラクレイトスは「全ては流れる」と語り、ピタゴラスは「数が宇宙の本質だ」と説きました。 そして紀元前4世紀、プラトンが登場します。彼の「イデア論」、つまり「目に見える世界は、より高次の世界の影に過ぎない」という考え方は、その後の西洋形而上学の土台となりました。 同時期、古代エジプトとギリシャの思想が融合する地(アレクサンドリア)で生まれたのが ヘルメス思想 です。.


Vol. 2なぜ今、形而上学を学ぶのか Why Study Metaphysics Now?
形而上学入門シリーズ|第2回 前回は「形而上学とは何か」という基本的な問いから始め、哲学・宗教・スピリチュアルとの違いを整理しました。 今回は少し視点を変えて、「なぜ今、形而上学を学ぶ必要があるのか」を考えてみたいと思います。 情報はあふれているのに、なぜ迷うのか 現代は、かつてないほど情報が豊富な時代です。 現代人が1日に受け取る情報量は、平安時代の一生分とも言われています。 何かわからないことがあればすぐに検索できます。 専門家の意見も、世界中の情報も、指一本で手に入ります。 しかし「どう生きたらいいのか」「これで本当にいいのか」という迷いは、減るどころか増えているように感じます。 情報が多すぎることで、かえって「自分の軸」がわからなくなっています。 形而上学が今必要とされる理由の一つは、まさにそれなのかもしれません。 情報を増やすのではなく、 情報を読み解く「軸」 をつくること。 それが形而上学の役割のように思います。 「なぜ」を問う力が失われている もう一つ、現代の特徴として感じることがあります。 私たちは、効率的なやり方、成功するための


Vol.1 形而上学とは何か?What is Metaphysics?
形而上学入門シリーズ|第1回 形而上学とは何か? 哲学・宗教・スピリチュアルとの違い このシリーズでは、「形而上学」という言葉を聞いたことはあるけれど、よくわからない…という方に向けて、できるだけ丁寧に、でも本質を外さずにお伝えしていきたいと思います。 第1回は、よく質問が来る「形而上学って何?」という一番基本的な問いから始めていきます。 「形而上学」と聞いて、何を思い浮かべますか? 難しそう。怪しそう。自分には関係ない。そう感じる方も多いかもしれません。 ですが実は私たちが日常の中でふと感じる「説明はできないけれど、確かに何かがある気がする」「目に見えない働きがあるように感じる」そうした直感と、深いところでつながっています。 形而上学を学ぶことは、その直感に「言葉」と「構造」を与えることともいえます。 形而上学とは何か 一言で言えば、「目に見えない世界の仕組みを探求する学問」です。 目に見える世界の背後にある、真理を知ろうとする探求です。 「形而上(けいじじょう)」という言葉は、古代中国の古典『易経』にある「形而上者謂之道(形而上のものを道と謂


魂の目覚めとは What is the awakening of the soul?
今、何か物足りなさを感じていないでしょうか。 仕事はある。人間関係もある。自己啓発書も読んだ。セミナーにも行った。 それでも、どこか深いところで、「これではない」という感覚が消えない。 その感覚こそが、魂の目覚めへの入口なのかもしれません。 「魂の目覚め」という言葉は、スピリチュアルの文脈でしばしば使われています。 あらためてその本質を、哲学的・形而上学的に問い直したとき、そこには単なる「気づき」や「感動体験」をはるかに超えた意味が浮かび上がってきます。 まず私たちは何から目覚めるのでしょうか。 答えは一つではないでしょう。しかし東西の叡智の伝統は、共通してこう語っています。「私たちは「自分が誰であるか」を忘れた状態にある」と。 ヘルメス学が語る眠りと目覚め 古代ヘルメス文書『ポイマンドレース』の中で、意識(ヌース)は問いかけます。 「光とは何か。知性そのものである。」 ヘルメス哲学において、人間は本来、神的知性(ヌース)の光を内に持つ存在として描かれています。 しかしその光は、物質世界への下降とともに覆われ、忘却されてしまいます。 これが「眠


無•間•調和の美 The beauty of Emptiness, Space, and Harmony
〜 形而上学的に紐解く日本的美学 〜 私たちは、自然の中に、芸術の中に、人の中にたくさんの美に触れています。 あらためて「美しい」とは、どういうことなのか考えてみました。 西洋と日本では、美の基準そのものが違うように思います。 今回は、日本の美学が何を根拠にしているのかを探ってみました。 「無」・「間」・「調和」を鍵としてみていきます。 「無」の美:「在ることを主張しない在り方」 西洋では「有」が存在の基準ですが、東洋では「無」が根底にあります。 こで言う無とは、何もない欠如ではなく、可能性として満ちた状態のことです。 老子の言葉に「器は空であるがゆえに役に立つ」というものがあります。 美しい茶碗は形そのものよりも、空いている内側、つまり「無」によって成り立っています。 人がこの「主張しない在り方」に美を感じるのは、「無」が世界に余白を与える存在だからなのかもしれません。 主張しないことで、むしろ豊かになる、それが日本的美学の形而上学的な核心です。 「間」の美:「存在と存在のあいだ」 間(ま) とは、物と物の距離、音と音の沈黙、動作と動作の止まり




















