

Vol. 1. 形而上学とは何か?What is Metaphysics?
形而上学入門シリーズ|第1回 形而上学とは何か? 哲学・宗教・スピリチュアルとの違い このシリーズでは、「形而上学」という言葉を聞いたことはあるけれど、よくわからない…という方に向けて、できるだけ丁寧に、でも本質を外さずにお伝えしていきたいと思います。 第1回は、よく質問が来る「形而上学って何?」という一番基本的な問いから始めていきます。 「形而上学」と聞いて、何を思い浮かべますか? 難しそう。怪しそう。自分には関係ない。そう感じる方も多いかもしれません。 ですが実は私たちが日常の中でふと感じる「説明はできないけれど、確かに何かがある気がする」「目に見えない働きがあるように感じる」そうした直感と、深いところでつながっています。 形而上学を学ぶことは、その直感に「言葉」と「構造」を与えることともいえます。 形而上学とは何か 一言で言えば、「目に見えない世界の仕組みを探求する学問」です。 目に見える世界の背後にある、真理を知ろうとする探求です。 「形而上(けいじじょう)」という言葉は、古代中国の古典『易経』にある「形而上者謂之道(形而上のものを道と謂


魂の目覚めとは What is the awakening of the soul?
今、何か物足りなさを感じていないでしょうか。 仕事はある。人間関係もある。自己啓発書も読んだ。セミナーにも行った。 それでも、どこか深いところで、「これではない」という感覚が消えない。 その感覚こそが、魂の目覚めへの入口なのかもしれません。 「魂の目覚め」という言葉は、スピリチュアルの文脈でしばしば使われています。 あらためてその本質を、哲学的・形而上学的に問い直したとき、そこには単なる「気づき」や「感動体験」をはるかに超えた意味が浮かび上がってきます。 まず私たちは何から目覚めるのでしょうか。 答えは一つではないでしょう。しかし東西の叡智の伝統は、共通してこう語っています。「私たちは「自分が誰であるか」を忘れた状態にある」と。 ヘルメス学が語る眠りと目覚め 古代ヘルメス文書『ポイマンドレース』の中で、意識(ヌース)は問いかけます。 「光とは何か。知性そのものである。」 ヘルメス哲学において、人間は本来、神的知性(ヌース)の光を内に持つ存在として描かれています。 しかしその光は、物質世界への下降とともに覆われ、忘却されてしまいます。 これが「眠


無•間•調和の美 The beauty of Emptiness, Space, and Harmony
〜 形而上学的に紐解く日本的美学 〜 私たちは、自然の中に、芸術の中に、人の中にたくさんの美に触れています。 あらためて「美しい」とは、どういうことなのか考えてみました。 西洋と日本では、美の基準そのものが違うように思います。 今回は、日本の美学が何を根拠にしているのかを探ってみました。 「無」・「間」・「調和」を鍵としてみていきます。 「無」の美:「在ることを主張しない在り方」 西洋では「有」が存在の基準ですが、東洋では「無」が根底にあります。 こで言う無とは、何もない欠如ではなく、可能性として満ちた状態のことです。 老子の言葉に「器は空であるがゆえに役に立つ」というものがあります。 美しい茶碗は形そのものよりも、空いている内側、つまり「無」によって成り立っています。 人がこの「主張しない在り方」に美を感じるのは、「無」が世界に余白を与える存在だからなのかもしれません。 主張しないことで、むしろ豊かになる、それが日本的美学の形而上学的な核心です。 「間」の美:「存在と存在のあいだ」 間(ま) とは、物と物の距離、音と音の沈黙、動作と動作の止まり


「水は方円の器に従う」 "Water follows the shape of its container."
― 形を持たないものが、最も自由である理由 ― 「水は方円の器に従う」という諺を聞いたことはあるでしょうか。 丸い器に入れれば丸くなり、四角い器に入れれば四角くなる。 水は、自分の形を主張しませんが、水はどんな形にもなれるということです。 今日はこの言葉を、少し形而学的な視点で見ていきたいと思います。 水は、器に合わせて形を変えます。 それを聞くと主体性が無いように思われるかもしれませんが、 しかし本質は、何も変わっていません。 H₂Oという構造はそのままです。 つまり水は、形を変えても、本質を失わない存在です。 私たち人間はどうでしょうか。 環境がや、人間関係や、立場が変わると、つい「自分が揺らいだ」と感じてしまいます。 けれど本来、魂の設計図(ブループリント)が明確であれば、どんなに外側の器が変わっても本質は揺らぎません。 水は、教えてくれています。 形を変えることは、決して裏切りのようなものではなく、それは適応であり、自由です。 また、この「器」は「環境」だけではありません。 時代・文化・人間関係・役割・そして“自分が世界をどう見ている




















