

「道」
日本には、”道”がつくものがたくさん有りますね。 茶道、華道、香道、柔道、剣道、合気道などなど…… 道がつくからには、どこかに向かうという風景がみえて来ます。 それは、自分を知るという事、宇宙を知るという事、神を知るという事なのかもしれません。 その道を歩み始めると、初めは歩むために必要な沢山の知識を必要とし、得て行きますが、歩みを進めるうちに今度は逆に手放していくようになります。 そのGoalにたどり着くには、「私」というものさえいらなくなってい来ます。「私」があると辿りつけないのが「道」です。 だから、道を極めた人は、神々しく見えるのかもしれませんね。 知識を求めると、次第に何かが増えていく、道を求めると、次第に何かを捨てていくことにつながる。 - 老子 - 〜Lucis Sylva 徒然便り103より〜 「光の道イニシエーション」の開催です。 3/3 ~ 3/4 古代より世界各地で、新しいエネルギーレベル/ステージに入る時にイニシエーションが行われていました。純粋な奉仕したいという意識、愛の意識が拡大し、そのエネルギーが光りのハイアラーキー


真我へと
個としての自我が目覚めた時、自分と他人、内側と外側とういう分離が始まり、自分を外に、他人に映しはじめます。 物心がつき、「私」という主体を持った時より、この分離の世界の中で生きるという事が始まります。
そして、分離のその中に分離が無いものを内包していることに気付いた時より、ワンネスという道が顕れてきます。 低我から高我へ、そして大いなる宇宙の調和と一体となった真我 (神我)へ。 真我は、遥か先にあるのではありません。 常にそこにあります。 真我が顕れてくるのは、一瞬一瞬の在り方。 そこにあなたが存在しているかどうかです。 生命の樹は真我へと向かう道筋を示しています。